| 第1章 YMCA YMCAって基本的に若い奴らのためにあるんだろう。しばらく泊まっていたYMCAには、若いのが少なかったぜ。どちらかというと、おじさんみたいのが多かったな。
1階にサロンみたいのがあって、そこは別に宿泊していなくても誰でも入れるんだけど、そこで最初に知り合ったのがジョーなのさ。頭はちょっと後退してたけど、まだハゲというには可哀想すぎる。額が広いといえばよく聞こえるかな。黒人で鼻筋が通って、見た目は結構渋い男、って言うと誉めすぎか。
ジョーは半年前まで日本に住んでいたんだ。それですぐに仲良くなったんだけどね。日本にいたときは、日本語学校の講師をやっていて、いい生活していたらしい。ロッポンギ、シンジュク、ナイス、ナイス、なんて言ってたもんな。
日本に何年もいたくせに、日本語はほとんどできねーのさ。それでも女には不自由しなかったらしい。ジャパニーズガール、キレイ、カワイイ、オマンコ大好き!会うたびに言いやがる。よっぽどおいしい思いをしたんだろう。
今はパン屋の工場で働いていて、毎日前の晩から明け方まで働いているので、すごい疲れるとグチっていた。給料もたいしたことないらしい。それと比べりゃ日本は天国だったろうなあ。1日に数時間適当に英語しゃべって、快適なマンションに住んで、ジャパニーズガールは食い放題。もう一度日本に行きたいって泣きつく気持ちもわかるぜ。しかし日本男児としちゃあ、ちと面白くないねえ。なんで日本の女は外人だと簡単に股を開くのかねえ。愛国心なんてかけらもないけど、こういう話を聞くと、ヤマト魂が日の丸の鉢巻締めてムクムクと立ち上がってきちゃうぜ。
だけどジョーはいい奴だよ。毎日YMCAのサロンに来て暇つぶししてるのさ。そこでジョーと俺がチェスをすることになった。ジョーはチェスがムチャクチャ好きらしい。チェスの相手を探してたみたいなんだな。俺はチェスをやったことなかったけど、将棋なら子供の頃からやってたから、まあ似たようなもんだし何とかなるだろうと思ったのさ。
ところが、これが大違い!
最初のゲームは3手で終わっちまった。何なんだ、これは? サギじゃないのか?
あとでチェスの本を読んだら、昔からある有名なハメ手らしい。初心者がよくひっかかるそうな。まんまと引っかかったよ。始めたとたんにチェックメイト!だもんね。英語でルールを説明されたってわかんねーよ。
いつのまにか回りにいっぱい人が集まっていて、みんな俺を阿呆を見るような眼でわらってやんの。チクショー、怒ったぞ。日本古来の将棋で鍛えたこの腕で、西洋のちゃちいチェスなんか粉砕してやる。ちょっと気をつけりゃ、あんな子供だましのハメ手なんかに引っかかるものか。
しかし、何度やってもすぐに詰まされる。こっちがうんうん唸ってあぶら汗流して考えた手を、たいして考えもせずにひょいと駒を動かすと、たちまちこっちが窮地に陥る。ジョーはいつだって涼しい顔をしてやがる。それがまた憎たらしいんだ。それからも毎日ジョーとチェスをやったが、とうとう一度も勝てなかった。
俺とジョーがチェスをやっていると、いつもそばで見ていて、あの手が悪い、この手がまずかったと口を出す奴がいた。ピートというオランダ人だ。頭の真ん中までハゲ上がって回りだけ毛が残ってんの。それも赤毛と金髪のあいのこみたいな変な色なのさ。
このヤロー、うるせえ奴だなあと癪に触っていたので、何日かしてから、そんなにチェスに詳しいんならいっちょやってやろうじゃないの、という感じでピートともチェスをやった。
日本の将棋はチェスより盤面も広いし、駒の種類も多い。それになんていったって、一度取った相手の駒を自分の駒として使えるんだ。こんな複雑なルールは世界広しといえども日本の将棋だけだ。それだけ将棋ってのは難しいわけよ。
だからチェスではIBMのスーパーコンピューターが人間の世界チャンピオンに勝ってしまったが、将棋じゃまだまだコンピューターはアマチュアの強い奴にも勝てない。
これだけの高いレベルのゲームでもまれてきた俺が、たかが風車とチューリップのオランダ人ごときに負けるわきゃあなかろう。
−−−−−−−−と思ったのが大間違いだった。このハゲおやじ強えよ。完敗だよ。悔しくって何度もやり直したけど、そのたんびに負かされる。くそーー、なんでこんなに強えんだよ。
あんた、ひま人みたいだけど、いったい何している人?
それまで実は名前も国籍も職業も何にもしらなかったのよ。そのとき初めて聞いたのさ。
「ぼくはピートといいます。オランダから来ました。カリフォルニア大学の学生です」
ナニ? 大学生だ? え、ウソだろ。
いやまてよ。外国じゃいったん会社に勤めてから、改めて大学に入りなおす奴が多いと聞いたことがあるぞ。うん、きっとそうに違いない。どう若く見積もったって、35,6だろう。普通にみりゃ40歳のおっさんだぞ。オランダの会社から何か特別の研究のために、留学生として派遣されてきたのかもしれない。そういう制度なら日本にもあるしね。
「年齢は22歳です」
え? え? え? おいおい、冗談ポイよ。
なんで、おっさんが俺より年下なんだよ。俺がビックリしていると、ジョーがニヤニヤしていやがる。そういやジョーも初めて会ったときは30台半ばだと思ったのに、実際は27歳だったんだよなあ。だけどピートはジョーよりずっとハゲてんだぜ。そのくせヒゲはたっぷりはやしている。なんでこいつが22歳なんだ。
ま、まあ、そう言われれば若く見えないこともないか。それでもジョーと同じ年くらいが限度だね。どう見てもそれ以上若くは見えない。だから外人は恐いよ。
そういや、ここのYMCAはおっさんが多くて若い奴が少ないなあと思っていたけど、実はみんな若いのかい?
いつ見てもおっかないバイク狂いの兄貴も、本当は俺より年下かもしれないな。丸太のようにぶっとい腕に刺青入れて、悠に100キロ以上はありそうなガタイで黒革のジャンパーに黒のサングラスが決まってる黒人のあんちゃんなんだ。いつも1000ccのバイクを乗り回している。バイクに乗ったままサロンまで入ってくるんだからおっかねえよ。
だけど、会えばいつでも向こうから声を掛けてきて、
「ヘイ、ブラザー、調子はどうだい?」
なんて愛想がいいんだよ。
「日本のバイクはサイコーだね。俺のマシンはカワサキなんだ。知ってるかい?」
知ってるも知らないも、よく知らないけどさ、名前くらいは知ってるさ。ホンダやヤマハほどポピュラーじゃないけど、玄人受けするマシンなんだろ。
金がなくて困っているときにコーラやハンバーガーをおごってくれるいい奴さ。
まあ、そういうわけで、サロンで知り合った奴はちょっと恐そうな奴もいるけど、おおむね言い奴だね。ジョーみたいにすっかり仲良くなって、身の上話まで詳しく話す奴もいるし、会うといつもにっこりする奴もいる。
ああ、そうそう、もう一人面白い奴がいた。チャーリーっていうんだけどね。アメリカ人は誰にでもやたらチャーリーって言うから、本名かどうかわからない。
こいつは見るからに軽い奴。俺と同じくらいの体格だから、アメ公としちゃあかなり小柄の部類だろう。口も軽いけど体重も軽そう。見た目で22,3歳だから、きっと本当は10代に違いない。そばかすだらけの白人の小僧だ。いつも野球帽を、つばを後ろに回して斜めにかぶっている。
こいつがうるさい奴でね。やたら早口でおしゃべり。ときどきジョーにうるさいって怒られている。早口でスラングが多いもんだから、こいつの言ってることはほとんどわからない。
ワンセンテンスに10回は「ユーノー、ユーノー」いいやがる。ユーノスロードスターはMAZDAのスポーツカーだってえの。知らねえだろう。ザマーミロ。
だけどこいつも憎めない奴でね。やたら人懐こいのさ。俺がほとんど理解できないのもおかまいなく、熱心にあれやこれや話し掛けてくるんだ。確かにうるさいと思うときもあるけどさ、なんか一生懸命冗談言って笑わそうとしてるから、ときどきわかんなくても笑ってやるんだ。
チャーリーを気に入ったのはもうひとつ理由があって、こいつだけなんだよ、チェスで俺より弱いのは。ジョーやピートには何回やっても勝てないけど、チャーリーなら簡単に勝てる。ジョーは、こいつは頭悪いから誰がやっても勝てるって言ったけど、そんな言い方ってひどんじゃない? それじゃ、俺がチャーリーにしか勝てないみたいじゃん。
サロンじゃ楽しくやってたが、楽しくない場合もある。それはトイレとシャワーだ。
部屋にはトイレもシャワーも付いてないので、共同の設備を使うしかない。そいつがちょっとやっかいでね。頭痛の種なのよ。
トイレは、小の方は普通に朝顔が並んでいるだけで、特に変わったところはない。問題は大の方なんだ。個室が並んでいるのは日本と同じなんだけど、その構造が違う。横はちゃんと壁で仕切ってあるけれど、正面はほとんどガラ開きなんだよ。正確に言うと、一応ドアはついている。ただし、上下の幅が30センチくらいの、西部劇に出てくる酒場のスイングドアみたいなやつなのさ。高さは腰の位置だから、平行に見れば大事なところは隠れるけど、立って見れば上から丸見えなんだよ。
普通、トイレに入るときにしゃがんで入って来る奴はいないだろう。立って歩って来るよなあ、誰でも。そうすりゃ、いやでも目に入るよなあ。ドアなんかあってもなくても同じだよ、これじゃ。
便器に座っているときに、誰か入って来ると落ち着かないぜ。向こうのヤローは慣れているのか、こっちがまさに出そうとして、腹に力入れて踏ん張っているときでも、道端で会ったときみたいに明るく、
「ハーイ」
なんて、声かけちゃってくれるのよ。
そうしたら、こっちだって、
「ハーイ」
って、明るく返事しなけりゃならないじゃん。
内心はそんなどころじゃなくて、クソ、テメーにいられたんじゃ、出るものも出ねえじゃねえか、早く出て行きやがれ! って、口に出さずに叫んでいるんだけどね。
だけど表面はあくまでにっこりスマイル、フレンドリーに、
「ハーイ」
と言わなくちゃいけないわけ。
なぜって? だって恐いじゃん。相手が虫の居所が悪くて、殴りかかったり、蹴り入れてきたりしたら、防ぎようがないだろう。こっちはケツからソーセージぶら下げてんだぜ。動きようがねーだろう。それでなくたって、奴らはみなでかいんだから。かなうわけないって。ホント、トイレでクソするときは、ひと苦労だったよ。
もうひとつやっかいだったのがシャワーだ。
シャワールームは細い通路の両側にシャワーがあって、正面の仕切りはなし。横の仕切りはビニールのカーテンが、天井から床までの高さの半分くらい上からぶら下がっている。
シャワーを浴びるのも命がけ、ってゆーと大げさだけど、かなり緊張を強いられたのは本当なんだ。なんせここはホモが多いと噂でね。シャワールームの前を行ったり来たりして、誰も入ってないときにさっと入るんだけど、入ってからほかの奴が入って来るのは避けようがない。そういう時はシャワー浴びてても気が気じゃないんだよね。うっかりシャンプーなんか使って頭洗ってると、相手の動きがわからないから、うかつに頭洗うこともできやしない。
アメリカの学園ドラマなんかに良く出てきそうな白人のあんちゃんが入ってきたことがあった。身長は1メートル80以上、金髪で胸毛がもじゃもじゃ生えている。腕もぶっといし、胸板も厚い。どうしてアメリカ人てどこもかしこも太いんだろうね。やっぱり肉ばっか食ってるせいかな。
こいつがアメリカ人特有の人懐こい笑顔で話し掛けて来るんだよ。
「ハーイ。俺はフレッドだ。よろしく。君はどこから来たの?」
別におまえの名前なんか知りたくねえよ。裸でチンコぶらぶらさせながら気安く話し掛けるなよ。それでなくても危険を感じてんだからよう。
こっちの気も知らねえで、フレッドは勝手に横のカーテンを開きやがって、
「僕のシャンプー使っていいよ。匂いがとてもいいんだ」
なんて言いながら、人の領分に無断で侵入してきた。
いいんだよ。俺はシャンプーを使わない主義なんだから。ほっといてくれよ。
「ユーはナイスボーイだね。黒い髪って素敵だなあ」
ほらほら、きたよ。あぶねえよ。
フレッドねえ、俺は君の思ってるようないい子じゃないんだよ。わかってくれよ。男に興味はないんだからさあ。そりゃあ、君から見たら俺なんて小柄で華奢で女の子みたいに見えるかもしれないが、頭の中は女抱くことしか考えてないんだから、君の要求には応えられないんだ。
しかし、フレッドが俺の肩に手を乗せてきたときは、正直半分くらい観念したぜ。
日本がアメリカと戦争して負けたのがよくわかったよ。こんな奴らと戦ったって勝てっこないさ。あのでかい手でキンタマ握られたら、もう身動きできないって。なんでも言うこと聞きますっていっちゃうよ。
今ここでフレッドに羽交い絞めにされたら、俺のバージンもお終いかなあ。せめてしゃぶるだけにしてくれる? うしろのバージンは破らないで。オカマ掘られたら俺泣いちゃうから。オカーサーン、って思わず叫びそうになったぜ。
ちょうどその時、黒人の青年がシャワールームに入ってきた。
フレッドが、ヤア、と挨拶を交わした隙を狙って、
「じゃあまたね。バイバイ」
と言いながら、ろくに身体を拭きもせず、洋服を着ながら脱兎のごとくシャワールームを飛び出した。
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