狂歌
Plaudite, acta est fabula.
| 佐保姫の裳裾吹き返しやはらかなけしきをそそと見する春風 |
松永貞徳 |
| そよそよと吹く春風が、春の女神の佐保姫の裳裾を吹き返し、その隙間からやわら かなそそがチラッと見えた。なんとのどかな春景色であるかな。 |
| 時鳥鳴きつるかたをながむればただあきれたるつらぞ残れる |
池田正式 |
| 時鳥(ホトトギス)が鳴いたほうを見ると、そこには何一つ目にとまるものはなく、 待ち焦がれたホトトギスの一声に心を奪われて、呆然としている人のつらが残って いるだけだった。 藤原実定の「時鳥なきつるかたをながむればただ有明の月ぞ残れる」を本歌とする。 |
| 不尽の山夢に見るこそ果報なれ路銀もいらずくたびれもせず |
永田貞柳 |
| 初夢に富士山の夢を見るのは幸運なことだ。めでたいのはもちろん、旅費はかから ないし、くたびれもしないんだから。 |
| 涼しさはあたらし畳青すだれ妻子の留守にひとりみか月 |
唐衣橘洲 |
| 女房と畳は新しいほどいいと言うが、女房はおいそれと新しくできない。せめて畳 を新しくし、青々とした簾を掛けよう。うるさい妻子がでかけてひとり酒を飲みな がら見る月はなんとすがすがしいことよ。暑苦しい季節も涼しくなるというものだ。 |
| ひとつとりふたつとりては焼いて食ふ鶉なくなる深草の里 |
四方赤良 |
| 一羽つかまえては焼いて食い、二羽とっては焼いて食う。そうしているうちに、今 までにぎやかに鳴いていた深草の里から鶉がすっかりいなくなってしまった。 藤原俊成「夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里」を本歌とする。 |
| 世の中にかほどふるさきものはなしぶんぶといいて 夜も寝られず |
四方赤良 |
| 世の中にこれほどうるさいものはない。まるで蚊が「ぶんぶん、ぶんぶん」と鳴く ように、「文武、文武」といって、夜もおちおち寝られない。 寛政の改革を行った松平定信の文武奨励策を皮肉ったもの。 |
| 借金も今は包むに包まれず破れかぶれのふんどしの暮れ |
朱楽菅江 |
| 破れふんどしでは金玉を包もうにも包めない。それと同じように、借金がたまって 世間に隠し切れなくなり、もう破れかぶれの年の暮れだよ。 借金と金玉、ふんどしと年の暮れが掛けてある。 |
| 待つ春の宵一刻の千金をすこし借りたき年の暮れかな |
蛙面坊懸水 |
| 春宵一刻値千金というが、その春を迎えるためには年の暮れに借金を返して、無事 新しい歳を迎えなければならない。ついては春の千金(千両)のうちから、ほんの 少しだけでも貸してくれないかな。 蘇軾の七言絶句「春夜」を踏まえた狂歌。 春宵一刻直千金 花有清香月有陰 歌管楼台声細細 鞦韆院落夜沈沈 |
| 七ツやを十あつめたる齢にてぶち殺しても死なぬなりけり |
四方赤良 |
| 友人が70歳になったお祝いに送った歌。 七(しち)を十も集めてとうとう七十になった。ぶち殺しても(質に入れても) 死にそうもないほど元気でなにより。 七ツやは質屋のこと。ぶち殺すは隠語で質に入れる意味。 |
| 秋の夜の長きにはらのさびしさはただくうくうと虫の音ぞする |
四方赤良 |
| 秋の夜が長くて寂しい原では、虫の鳴く声がしきりに聞こえる。私も夜が長いので 腹が減って、腹の虫がくうくうと鳴いている。 原と腹をかけ、秋の虫と腹の虫をかけた。 |
| にんにくのつれなく残る匂いよりあさつきばかり憂き物はなし |
三宅長斎 |
| あとあとまで残るにんにくのいやな匂いより、皆さんに叱られたあさつきの匂いほ ど私にとっていやなものはありません。 あさつきを食べてからお城に出仕して、小姓衆に「くさい」と叱られた長斎が、 お詫びの代わりに詠んだ歌。壬生忠岑の「有明のつれなく見えし別れよりあかつき ばかり憂きものはなし」をもじったもの。 |
| ごばんをば打ちくつろいでこのいしの苦労をのがる しろのおかげで |
三宅長斎 |
| 御番医師をやめて隠居できたのですっかりくつろいでいます。お城勤めの医師とい う苦労から逃れられたのは、ひとえにお城のお殿様のおかげです。 「御番」と「碁盤」、「医師」と「石」、「城」と「白」、「苦労」と「黒」、 接頭辞の「うち」と碁を打つの「打ち」を掛けている。 |
| 歌よみは下手こそよけれ天地のうごき出してたまるものかは |
宿屋飯盛 |
| 「古今集」の序文で「力をもいれずして天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ 鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ」とあるのに対し、伝統的な和歌の権威 主義をこき下ろし、うまい歌で天地が動き出したらたまったもんじゃないと皮肉 ったもの。 |
| 蛤にはしをしつかとはさまれて鴫立ちかぬる秋の夕暮れ |
宿屋飯盛 |
| 蛤(はまぐり)と鴫(しぎ)が争っていると、漁夫が両方を一度に捕まえてし まったという「漁夫の利」の故事と、西行の歌「心なき身にもあはれは知られ けり鴫立つ沢の秋の夕暮れ」を無理やりくっつけたもの。 |
| ほととぎす自由自在にきく里は酒屋へ三里豆腐屋へ二里 |
頭光(つむりのひかる) |
| ほととぎすの鳴き声は夏の訪れを告げるものとして和歌や俳句にも数多く取り 上げられ、ほととぎすを聞きながら豆腐を肴に酒を酌み交わすのも江戸の風流 であった。しかし、実際に風流を堪能できるのは、便利な街中ではなく、酒屋 へ行くにも三里、豆腐屋へ行くにも二里も歩かなければならないような辺鄙な 場所なんだよ。 |
| 月見てもさらにかなしくなかりけり世界の人の秋と思へば |
頭光(つむりのひかる) |
| 大江千里の歌「月見ればちぢに物こそかなしけれわが身ひとつの秋にはあらね ど」をそっくり裏返した狂歌。世界中の人がこの秋の名月を眺めていると思え ば、悲しくなんかなりませんよ。 |
| 貧乏の棒もしだいに長くなりふりまわされぬ年の暮れかな |
詠み人知らず |
| 江戸時代は、掛買いが普通で、盆と暮れの2回それまでの掛け金をまとめて払 った。しかし貧乏がひどくなると暮れの支払いができず、無事に正月を迎えら れない人間も出てくる。貧乏が長引いてふりまわせない(身動きが取れない) ほど育っちゃったよと洒落のめしたもの。 |
| 貧乏はしてもしたやのお大尽上野のかねのうなるのを聞く |
詠み人知らず |
| 下谷(したや)は上野の山の麓。上野寛永寺は徳川家の菩提寺。下町の江戸っ子 は寛永寺の除夜の鐘を聞いて年を越す。貧乏ななりはしていても本当はお大尽 (金持ち)なのさ。その証拠に上のほうに金がうなるほどある。 下谷は「しても」の音から連想されるとともに、下と上(上野)の対比にもな っている。また、上野の「鐘がうなる」と「金がうなる」を掛けている。 |